「けんた」のけんは宮沢賢治の賢。

集大成はいつだって必ずやってくる。

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答えのない事について考えてみた。

今日は昼起きという最近の健康生活からすれば屈辱のスタート。
ラーメン食いに行って、カッターにアイロンかけて、説明会パワポ作っていざ塾へ。
今日はある生徒と母親と教育相談であった。
いつものように相談開始かと思いきや、何やら変な雰囲気。
話を聞くと本人がもう勉強がもう嫌だということだ。
僕のスタンスは小学生の時期はやりたいことしたらいいし、勉強が嫌なら辞めても良いというスタンス。
しかし母親はそう言って欲しくなさそう。
さぁ難しいぞ。
話が進むにつれて泣き出す小学生。
何かやる気を起こすきっかけは無いかと探る母親。
さらに本気で嫌だと主張して泣き出す生徒。

カワイソウ

人生の中には嫌々ながらも耐えてやらなければならないことがあるのも事実。
自分の好き勝手にやってそれが人生の仕事になるのは本当に恵まれた人でかつ少数派であろう。
しかしかと言って今からそんなに友達との時間を削ってまでやらせるのもいかがなものかという気持ちが僕の中にあるのも事実。
そんなジレンマにおちいっていまってモゴモゴしてしまった。

頭がよくて自立心のある人は「中学受験なんかいらねぇだろ」とか「学歴かんけぇねぇ」というだろうが、それらで救われているヤツもいることも確かだと思う。個人それぞれ自身の人生に対してだけはそれが当てはまるかもしれないが、他の人の人生に対してそれが善とか悪とかの判断は僕には下せない。

僕自身、生徒達にはせっかく勉強するからには楽しんで、後から思い返したときにいい思い出になって欲しいから、そういうふうになるように指導してるつもり。けど未だにこういうジレンマにおちいる。

優柔不断だから一歩踏み出した考えに達せないのだろうか。

極論は楽だけど、そこに自分なりの考えってないような気がしてるからだろうか。

でも世間は一般論っていうある種の極論に相変わらず支配されている。

それはやはりそこに自分を預けてしまえば楽だからなのだろうか。

僕が退屈に感じてしまうだけで一般論が正解なんだろうか。

~だろうか。が多いのは迷ってる証拠なんだろう。そしてそれに答えはないかもしれない。

でも確実なことがある。

こんな思考に時間を投じていたら僕の卒業はおじゃんになるということだ。
そしてそれと同時に院試の合格もおじゃんになる。
足元ばっかみて考え込んでないで、行動すること。

策士策におぼれる。石橋を叩いて渡る。

この二つが提供してくれる教訓のバランスが大事なのはHappyな人生を送るための真理やと思います。

速く寝ろやボケェェェ!!!!!!!


  1. 2007/11/07(水) 03:29:34|
  2. 日常
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夜景は1時間で満腹 星空はきっと見飽きない。

朝の10時から夜の10時までという卒論がヤバくて教授にテーマ変更をして頂いていた身とは思えないほど塾にいました。
今晩もいつものメンバーで夕食会。
帰りは終電で。
四条駅から乗りました。
席はそこそこすいていたので余裕を持っての着席。
するとドアが閉まりかけのときに足の悪そうなおばさんが乗ってきた。
僕の列に座っていた若者たちは各々の隙間を埋めてスペースをつくる。
僕の右隣にお婆ちゃんが「どうもありがとうねぇ」と言いながら座る。
こういうのって両方気持ちいいよなぁと終電に吹いたさわやかな風に吹かれて僕の酔いも少しさめた気がしました。

電車がちょうど烏丸御池を出発して丸太町に向かうとき、
僕がBeatlesのHere, There And Everywhereを気持ちよくきいていたら
おばちゃんがこっちを向いて何か言っている。
基本的に音量がややでかめの僕はそれが聞き取れなかったので、イヤホンをはずしておばあちゃんのか細い声に耳をすませた。

「この電車におトイレついてないんですかねぇ」

確かにおばあちゃんはそう言った。

僕は「この電車にですか?」

「はい~」

「いやぁ無いと思いますけど…たぶん駅の改札付近にあるのではないでしょうか?」

「あぁそうですかぁ~ありがとうございます」

えらい丁寧やけど変なおばあちゃんやなぁと内心思っていたら、急に何かを数えだされた。

降りる駅まで何駅か数えてるのかな…洩れそうなんだろうか…

とまること無いカウントを横目に見ていると、i-podはインキュバスのechoを選んでくれた。

そしてとうとうおばあちゃんの手はカウントダウンから脳トレに移行したそうだ。

両手でじゃんけんをしている。

よくある片方負けてもう片方に勝たせるみたいなやつだ。

いや待て・・・。

おばあちゃんの両手はエンドレスに引き分けだった。

ただの指のエクササイズやん。

心の中で思いっきり突っ込んでいる僕がいました。

こういうのって人によっては僕を不謹慎ととらえる人もおるやけど、
そのときの僕には、おばあちゃんに対して人生の折り返し地点をとうに過ぎて最終的に現れる子供らしさみたいなものを感じてついつい微笑ましく感じてしまったのだからしょうがない。
また人を小ばかにした微笑にこそ、オトナがまとう社会のアカをそぎ落とした無邪気な姿があるような気がしてならない。そしてそれは精神活動上必要不可欠であると僕は思います。

おばあちゃんのエクササイズは少しのインターバルをおいて、僕が松ヶ崎に着くまでに繰り返された。

僕は開く電車のドアに体を近づけていく途中にも背中におばあちゃんのエンドレス引き分けじゃんけんを感じていた。

ドアがあくと振り返ることなくエスカレーターへ

僕の頭の真ん中にはtakumixのラストフォーライフが知らぬ間に流れていました。

きっと夜景は1時間で満腹だけど、星空は1時間くらいでは見飽きないだろう。
これと同じなんだと思う。



  1. 2007/11/05(月) 01:20:53|
  2. 日常
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